濱田庄司(人間国宝)

商品一覧


  • 飴釉刻文急須 識箱
    径8.5cm×14.0cm×高9.5cm
    430,000円
  • 鐵絵酒器 共箱
    徳利 径8cm×高13.5cm
    ぐい呑 径5.7cm×高3.3cm
    567,000円
  • 鐵絵花瓶 共箱
    径19.3cm×高18.7cm
    661,500円
  • 柿釉抜絵皿 共箱
    径24.5cm×高3.5cm
    270,000円
  • 鐵絵茶碗 共箱
    径12.6cm×高8cm
    472,500円
  • 鐵絵花瓶 共箱
    16.3cm×14cm×高23.2cm
    563,760円
  • 湯呑 共箱
    径8.6cm×高8.5cm
    108,000円
  • 鐵絵角皿 共箱
    径19.5cm×高5cm
    350,000円
  • 塩釉盃 識箱
    径8.2cm×高5.5cm
    294,000円
  • 鐵絵鉢 共箱
    径24.3cm×高10cm
    450,000円
  • 塩釉刷毛目盒子 共箱
    径8.2cm×高9.5cm
    252,000円
  • 灰釉灰落 共箱
    径13cm×12cm×高9.5cm
    231,000円
  • 柿釉抜絵角皿 識箱
    径27.0cm×27.0cm×高5.2cm
    630,000円
  • 鐵絵花瓶 共箱
    径10cm××高18cm
    252,000円
  • 柿釉赤絵花瓶 共箱
    径18cm×高20cm
    1,965,600円
  • 飴釉指描建水 識箱
    径16cm×高8.1cm
    252,000円
  • 掛合釉花生 共箱
    径12cm×高22.5cm
    525,000円
  • 鐵砂鉢 共箱
    径22.5cm×高11.5cm
    598,000円
  • 黒釉錆流描皿 共箱
    径26.8cm×高5cm
    259,000円
    SOLD OUT
  • 海鼠湯呑 識箱
    径8cm×高8cm
    126,000円
    SOLD OUT
  • 掛流茶碗 共箱
    径13cm×高9cm
    577,000円
    SOLD OUT
  • 黒釉茶碗 共箱
    径13.0cm×高7.6cm
    336,000円
    SOLD OUT
  • 掛分釉茶碗 共箱
    径12cm×高9cm
    630,000円
    SOLD OUT
  • 鐵絵皿 共箱
    径19.3cm×高4.5cm
    200,000円
    SOLD OUT
  • 柿釉抜絵皿 識箱
    径24.7cm×高5cm
    255,000円
    SOLD OUT
  • 掛合釉指描扁壺 共箱
    幅13cm×奥8cm×高20cm
    546,000円
    SOLD OUT
  • 塩釉湯呑 識箱
    径8.5cm×高9.5cm
    136,500円
    SOLD OUT
  • 花生 共箱
    径9.1cm×9.5cm×高20cm
    200,000円
    SOLD OUT
  • 鐵絵花瓶 共箱
    径12.0cm×高17.5cm
    350,000円
    SOLD OUT
  

  

「私の陶器の仕事は、京都で道をみつけ、英国で始まり、沖縄で学び、益子で育った」と

自ら語っている。益子で濱田が窯を築いた理由のひとつに、東京高等窯業学校時代に

板谷波山の家で益子焼の山水絵土瓶に関心を抱いたことがあげられる。

1916年、河井寛次郎と共に京都私立陶磁器試験場へ入り、柳宗悦、富本憲吉、

バーナード・リーチと知り合った。

1920年に帰国するバーナード・リーチと共に英国へ渡り、西海岸、漁村セント・アイグスでリーチと

共に日本風の登り窯を築き作陶した。

英国での生活の中で、陶器制作の様々なことを学ぶが、田舎に住む、英国の工人達の素朴で

健康的な生活の中で仕事をする精神、西欧文化の伝統に強く感銘していく。

それが都会ではない、田舎であった益子に住む動機でもあり、濱田の生涯を貫く厳しい生活態度の

基盤でもある。

その中生まれた濱田の作品は、健康的で力強く、素朴さがあり、それでいて格調が高い。

「民芸品の良さは、健やかなくらしのにおいがあれば良い」とも語っている。

濱田自身の人間性が作品にそのまま表れている。

【参考文献:益子町史・1981濱田庄司】


濱田庄司陶歴

1894年:神奈川県に生まれる

1916年:東京高等工業学校卒業

1920年:セント・アイヴスで作陶生活

1924年:英国より帰国、京都河井邸に二カ月滞在後、栃木県益子に入る

1925年:東京・鳩居堂で帰国最初の個展

1926年:柳宗悦、河井寛次郎らと民芸運動の具体策を話し合う

1931年:益子に築窯

1935年:柳邸で柳、河井らと日本民芸館設立の協議を行う

1955年:重要無形文化財保持者となる

1968年:文化勲章受賞

1974年:ロンドン王立美術大学よりHonorary Doctor of Artの学位を受ける

1977年:自宅内に益子参考館完成


主な陶技

唐黍文、蝋抜、赤絵、柿釉、流掛